1章~3章だったところは、長くなるからのけといて、4章の分裂と創造だったところから。
次のことはとりあえず確定、ということで進みます。
<前に1章~3章だったところ>
すべては意識という光で出来ているということ。
時間は部分を扱うことで生まれること。
この世界の全情報を一度に扱う始まりの点に焦点が合うと時を超える。
その時自分と反自分は、対消滅、対生成により永遠の領域に入ること。

以下続き「4章 分裂と創造」だったところから。1点からのはじまり。

① 意識体

最終的に、2つが向き合って1つになるなら、最初はその反対。

始まりの1点からの分裂。

両極の「前に進もうとするホワイトホールの力(前向き)」と「集めようとするブラックホールの力(後ろ向き)」が同時に働きます。背中合わせの2つの極が正反対を向いて広がりながらも同時に自分を焦点として集めるので、2つの焦点として分裂します。焦点の対生成。そして同時に全体に戻る対消滅。光なので始まりの点と2つの焦点が同時存在出来るからその行き来がキラキラ。

同時存在した状態で、同時に再び対生成するので、2つの焦点もさらに分裂して増える。焦点は元の親の分身だから。
次々に生まれる点のつながりは、その流れが全体という体となります。新しく生まれた各点(意識)は自身以降に生まれた領域を体として情報を持ちます。光の「意識体」です。どの点の意識かによって領域が異なります。

最初に生まれた焦点を「陽」「陰」とします。東洋医学では男が陽、女が陰です。

「陰」「陽」の次は「陰中の陰」「陰中の陽」と「陽中の陽」と「陽中の陰」。「陰中の陰」と「陽中の陽」は最初の「陰」「陽」の延長で、この時点で新しく生まれたのは「陰中の陽」と「陽中の陰」ということになります。体細胞分裂において、生まれた2つの細胞の一方が母細胞、もう一方が娘細胞であるのと同様に、片方が親の意識を持ち、もう片方の領域は半分になります。各点が各領域分の体のイメージを持ち、親の領域の中に子の領域・・・と入れ子状態で存在します。

新しく生まれた子は、そこが始まりになるので、新しい次元の始まりです。次元の違いは領域の違いです。全体が多次元に広がります。分裂が進むと同時に生まれる数も増えるので、次元の違いは波長、周波数の違いでもあります。点の分裂は意識体の成長でもあります。

生まれた各点は焦点という意識であり、すべて別次元、別バージョンの自分です。

② 人体

基本の力は「進む(前向き)」と「集める(後ろ向き)」。
その行きつく先が自分自身となるように。
前向きに焦点を合わせようとする力と、自分を焦点として集めようとする力。

対消滅と対生成。分裂したもの(広がったもの)は、再び1つに戻ろうとします。最初の焦点「陰」「陽」は始まりの点へ。各次元のものもそれぞれ生まれたところで1つになろうとするはず。

しかし、最初の焦点「陰」「陽」は、同じ始まりの点から生まれた対になるペアですが、それ以降に生まれるものは、同じ点からは完全な正反対のペアは生まれません。例えば、「陽中の陰」は「陽」から生まれましたが、本当の正反対のパートナーは「陰」から生まれた「陰中の陽」です。ですから、各次元の中ではペアなので1つになろうとしても、深い次元である全体の「陰」「陽」の力の中では、それぞれ正反対のパートナーがいる反対側へ行こうとするのではないかと思います。

これが倒立像の始まり。

つまり最初の2つの焦点以外は、反対世界に倒立像を作ることになり、これが物質である人体の形成だと考えています。反対側の焦点「陰」か「陽」を経て、自分のパートナーの位置に無意識である人体として一緒に成長していきます。前を向いて広がる顕在意識に対して、反対世界の倒立像が無意識。

物質となる倒立像(人体)の成長の様子が体細胞分裂です。
最初の2つの焦点「陰」「陽」は倒立像を作らないので、次の「陽中の陽」と「陽中の陰」、「陰中の陰」と「陰中の陽」という意識が生まれる位置が、それぞれの人体(反自分の無意識である倒立像)のスタート位置です。意識の成長する力(分裂していく力)を生命力として、一緒に物質の体も形成されると考えています。

意識が無限遠光源として分裂して広がっていくので、その力が無意識の体細胞分裂に働く力。

まず、細胞の中心に染色体として体の情報が現われてきます。それが外側に現れた2極に集められ、その位置で2つの像に分裂します。(無限遠光源として広がって、2つの焦点が生まれる)物質の世界では時間の中でスローモーションで作られます。
成長は、その方向に力が働いていることを表します。手足の伸びる方向へ、髪の毛が広がる方向へ。そして意識体の持つ機能が体にも表現されていきます。

全体という1つの中で、「陰」「陽」の焦点にわかれ、その次は同時に4つに分かれます。その4つの内2つは、最初の「陰」「陽」が「陰中の陰」、「陽中の陽」として成長しています。前向きの意識は光なので分岐前の焦点も存在できますが、反対側は像に反映されず分裂した先だけが残ります。そのため自分の体は頭部を含め、5方向に力が広がっています。陰陽五行です。自分の中で、反対世界は下向きかつ左右が逆として表れます。

分裂の過程で新しく生まれた点はそこが始まりとなります。それぞれの点を中心に同じことが起こるので、大きい陰陽5行の中で、先端に行くほど小さな陰陽5行が作られます。同極内にできる部分的な陰陽は、ある一面の正反対になります。光としての「意識体」と、反対から後ろ向きに送られてきた「物質の体」と両方ありますから、体にも裏表(陰陽)があることになります。意識体は光なので6方向で6行、物質は5行と考えられます。

また、物質の体の中で、脳が左脳と右脳に分かれていることは、倒立像として送った情報と送られてきた情報の両方を、1点が両極で持っていることの表れと考えています。

③ 大宇宙と小宇宙

東洋医学では、目の前に広がる世界を大宇宙、体内を小宇宙と呼んでいます。この2つはリンクしていると考えます。

意識は、無限遠光源の焦点として生まれますが、物質の体は焦点(最初の焦点「陰」「陽」)からずれた倒立像として成長します。意識は反対世界から集まってくる倒立像の情報(体の情報)を前に展開しているので、その展開された情報の中心にいるということでもあります。それが物質世界。自分の体情報を物質世界として覗いているということになります。

広がった世界の中では、「自分とは小さな1点」ですが、その1点がその世界のすべての情報を持っています。人体の中の小さな各細胞がDNAという設計図を持って存在していることにも表されます。

自分の成長とともに世界に人(意識体を構成する各点)が増えていく。それぞれも物質の体を着ています。両親しかいない世界から、幼稚園、小学校と人が増え、成長とともに世の中にはすごく人が多いと認識していきます。あらゆる次元の自分が、あらゆる角度で見えます。体は世界のデータ元。世界の不協和音は体と無関係ではありません。

物質世界では、最初の2つの焦点「陰」「陽」と「始まりの点」は像として存在していません。

④ 世界の中の人々

大宇宙という世界像の中では人体は各点を表し、その点を表す各人体は小宇宙として自分の領域の全情報を保有しています。

像とは点の繋がりです。自分に送られてくる倒立像の情報は、世界の中では、広がった過去から自分に集まってくる先祖として、各点が並んで表現されます。点は両極の情報を持っているので、両親が見え、さらに部分的要素は過去に広がる。情報が集まってくる焦点の意識は、現実世界の中では、さらに2つに分裂した次の次元で像として存在するので兄弟姉妹に分かれると思います。つまり本当の自分から見ると、自分像は現実世界の中で2つに分裂しています。その兄弟姉妹は同じ先祖だけど、領域が違う為、親の兄弟姉妹夫婦の像になる等すると思います。

情報は見る方向で違って見えます。

親族は、家の中の過去の方向に点の両極が夫婦として揃って見えます。

親族の外に、他人として横並びで広がっている人達は、現在という横の位置に、情報が左右に分かれて見えると思います。現在進行形の自分が部分的に見える。自分以降に分裂した点が、各自に集まってくる倒立像情報を親族にして、自身も対応する倒立像を着て存在します。この自分から横に広がった意識も両極の情報(男女)を持ちます。右脳と左脳に表されるその情報が、両親では並んでペアで見えましたが、横並びでは左右に分かれ、違う方向から現れてくると思います。自分自身が外へ行くことは、成長しながらその様子を見ることで、外に行けば行くほど周囲に人が増えていきます。焦点からどんどん離れていく自分が、いろいろな角度でいろいろな倒立像として反対世界に送られます。

人体以外にも、先祖方向と、現在の地上両方に、様々な生物が、人の性質の部分的側面として表れています。恐竜のようだったり、サルのようだったこともあるし、いろいろな性質を持っています。成長の仕方が部分末端の方へ伸びていく様子は植物のようでもあります。
地球が丸いのは、常に2つのレンズで半球ずつの世界を展開しているということの表れであり、どう動いても正反対の世界を同時に展開し、全体で球になっているということだと思います。

その全体の中で自分は一つの点として存在します。
展開された物質世界の中では、たくさんに分裂した中の一つの点。

光なら1つが分裂したら、大元の1つ+分裂した2つで3つ。同時存在。でも物質では細胞分裂でもわかるように、分裂した結果だけが存在する。1つが分裂したら、一見同レベルの2つだけ。表面的にどんどん分裂したたくさんの分身の中で、大元の意識を持っていたとしても、小さな一人として存在する。

物質世界での肉体の自分とは、たくさんの中で区別がつく様に、いろいろな特徴があります。性別や年齢、名前、住処、立場、趣味や経歴やいろいろ。その自分は全体の中で役割分担しているので、囚われて小さな自分として動くしかない。この物質世界ではそうするしかない、という何かの力によって行動が決まってしまう。
本心とは別に言動が決められてしまう。

始まりの無限遠点に焦点を合わせるということは、最初の2つの焦点に帰ることです。
その2つは像を持たない。
今の世界で小さな一人になっている時は焦点に戻れない。この現実世界の誰でもない、生まれてからずっと変わっていない自分の位置で、2つが向き合うことが始まりの点に焦点が合うこと。

今の現実は部分的な自分を演じさせられているので、それを自分としてしまうと焦点位置に戻れない。

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