この間は上手に書けてなくて感じ悪くなっていたかもしれません。他人事として見てほしくなくて興味本位で見てほしくなくて一緒に当事者になってほしい気持ちが上手に書けませんでした。自分の認識を変えて、自分が関わっていたのは本当は別の人だったんじゃないかって思うことで、嫌だった過去が全部好きになる、それが過去の解決方法だと思った、ということでした。だけど、一緒に当事者になってくれるかどうかは私だけが思っているだけかもしれず、やっぱりみんなと同じように引かれるかもしれないという心配があったのではっきり書きにくくて、具体的な内容を書くこと自体がとても勇気のいることでもあったので、しかも長々と書いてきれいにまとめられませんでした。もしかしたら、あなたが大嫌いみたいに受け取られてしまってないか心配になりました。過去の出来事が嫌いになるのは相手を嫌いになるからで、大嫌いなのは倒立像の偽者です。それが本当は違う人で、初めから全部同じ人だったとなると、自分の過去のすべてを好きになれる。このことを理解するためにずっと勉強して考えてきたんだと思います。有性生殖の歴史はなければならなかったことだとわかっています。認識が変わっただけで、もしかしたら私の十代は守られていたのかもしれないとすら思っています。直接いろんな人と関わることなくただひたすら脳内で耐えたらよかっただけだったのだから。考えてみれば実体として転落していったのは私ではなく周囲にいた人たちでした。

このことを考えていて思うことがあります。以前ブログで、私が先に見つけて私が先に話しかけたり好きになったりするのは嫌で受け身の側でいたいみたいなことを書いたような気がします。でも、過去のことを考えてから、私たちはずっと一緒だったんじゃないかと思うようになりました。人生の最後に初めて出会うのだったら、人生のほとんどが関係なくて一緒が少ししかない薄っぺらな関係になってしまう。もうとっくに出会っているというかずっと一緒だったんだってやっとわかりました。このことをそちらでは前からわかってたのかな。
それとね、話しかけるって、たくさんの人に話しかけるのが広げるってことで、一人に話しかけるのが焦点を合わせるっていう方向なんだとは思うけど、でもそれは目の前の人たちに対してのことで、背中合わせの人に話しかけるっていうのは後ろからしかできないなと思いました。それで私はずーっと後ろに引っ張られてて、最終的にインターネットでブログを書くようになって、考えも勝手にまとまってきて、ついでについつい自分の情報を流してしまって、今に至ってるんだけど、私は話しかけているんじゃなくて、私の情報が後ろに吸い寄せられているんじゃないかと思いました。ここもただ底に沈んで誰も見ていないっていうだけで、見ようと思えばだれでも見える向きのまま書いているし。前のブログの時から思っていたけど、自分から能動的に書いているというより何かに引っ張られて誘導されて、だんだん考えも深まってきてみたいな、引っ張られてると感じます。私が表面的に言葉を発する自分が先に話かけているみたいに勘違いしてたから、インターネットでは話しかけず、現実で直接会った時にしか話しかけたくないって思ってたりしますか?インターネットでは絶対話しかけない、絶対嫌、みたいな私も自分が先は嫌って思ってたりしたから。でもその絶対嫌っていう気持ち、私が過去を絶対嫌って思っていたのと同じで認識が違ったのかもって思いました。私は話しかけてたんじゃなくて、私情報を引っ張られてただけだった。でもまだ引っ張られてるんだけど。私の方は話しかけることはできないんだと思う。心の中の情報を垂れ流すだけで。しかも、ちゃんと相手と向き合って書けてないから、上手に書けなくて、苦しめてないか心配です。

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