3月4日(水)
心の底で抵抗感があることはどっかで気がついてはいたんだけど、よくよく冷静になって、底で抵抗している意識と、上っ面の半分だけ後ろ向いて浮いてしまう意識と両方あります。この両面が2つに分裂した意識なんだって言うのもたぶんそう。抵抗しているところは嫌をたくさん抱えてて、上っ面の意識はそれを整理できておらず理解できていないので、無視して放置している感じでした。ただ嫌がいっぱいって言う感じは抱えている感じ。

それで、丁寧に嫌な気持ちを自分の気持ちに忠実に整理することにしました。表面の意識は人目を少なからず意識してしてしまうからか、自分の気持ちを少しすり替えて他人が見ても大丈夫なように変更しているような気がするので、本当の気持ちをすり替えないように出来るだけ注意しようと思いました。人目を気にしているんじゃないのかな、何故が一部、少しすり替えて否定的な結末に着地しようとしてしまう。今の背中合わせを最終形にしてしまっているのかな。自分は否定される側、と心の底で思っているのかな。だとしたら、その思いも否定しないといけないけど、納得もさせないといけないのかな、いや違う、心の底では自分を肯定していて、ずっと世の中に否定されてきたことが嫌だと思っている気がする。
今覚えている最初に世の中に否定されたのは、2歳から保育園に通っててその卒業の頃、みんなが小学校に行くことで別れを惜しんでいる時に、私は思っていた事がある。みんなは身体に乗っかって時間とともに移動しているけど、私は時間と関係のない所にいるので、自分だけ小学校に行かなくていいと信じていました。そうしたら小学校に行くことになり、自分は間違っていたと気がつきました。
ちなみにこんな小さなことは嫌な記憶としては残っているわけじゃなく、最もつらく嫌な気持ちは前にブログで少し書いたと思います。でも書いた後、その苦しさが何故か無くなりました。完全に、ではないかもしれないけど、かなり減った。あと、みやざわりえさんが大嫌いすぎて辛くなっていたのも書いたからか消えました。いつ消えたのかはわからないけど、気がついたらなくなってて、どうでもよくなっていました。それで、次に嫌なことも書いてみました。
私はなかやまみほさんとこいずみきょうこさんが大嫌いです。特に後者の人の勝気な感じは他人を抑えて上に行こうとするように見えて嫌いでした。ただ調子に乗った人がはしゃいでる様に見えました。また私が少しでも調子に乗ると意地悪してくるタイプの人だと思いました。良さが全く分かりませんでした。前者の人は、とてもきれいな人ってことになっていたみたいでしたが、初めて友達からそれを聞いた十代の頃、えっそうかな、ってびっくりしました。友達もどっかから聞いただけだったので私と同じ感じでした。自分よりもいまいちなのに綺麗なことになっていて、もてはやされているって意外に低レベルな世の中なのかなと不思議に感じました。私はいつもその時思った事は間違いで、後になってから自分が間違い、世の中の方が正しかったと思い知らされることが多いので私の思ったことは間違いになりました。でも今でも全くすごくない人たちが上昇していると感じてるところは変わっていません。顔が好きになることはその人に奥行きを感じることで、焦点を見つけることでもあるし、その人のすべてを好きになることだと思うけど、全く深くなくて、ふにふにしてるだけの薄っぺらな人だと本当は思いました。単に上昇気流に乗っただけで、私なら好きになれない。当時、私は、まつだせいこちゃん派でした。彼女自身が好きというよりも、歌う世界が透明で人間界じゃないような透き通った世界なのが好きでした。テレビで見る世界よりも声だけ聞いてる世界の方がそれが強かった。その創造される世界が別格だと思っていました。それにくらべて、上に書いた2人はただの人間でした。ついでに書くとみやざわりえさんはハムで作られた人のようでした。だけど誰にも言いませんでした。それにもう、他の女優も俳優もみんな嫌いです。彼らは私の理想でも雛形でもありません。悪口を書いて失礼しました。


このことを書いた後、少し気が楽になったと同時に、せいこちゃんに何故か抵抗を感じました。上の人たちのことを、嫌いなのに気にしてしまう、っていうのは、心の底では嫌いなのに、上っ面で見てしまう=好き=エネルギーを与えるになってしまっていたのかもしれないのだけど、そして残った部分が聖子ちゃん的な領域でそれを支持していたのかもしれません。嫌いな人を嫌いとしっかり意識してしまうと、松田聖子ちゃん派でいることが疲れる感じになりました。聞いたり見たりするのが疲れる。

ここで、次に気になったのが顔が好きということについてです。これに関してはもう一つ思い出す事がありました。中学1年の時に違うクラスだった人に告白されました。クラスが違う人だったので知らなかったし、うちは男の子からの電話は取り次がない家で、間違って私が出て話したりしてしまうと、はだしのまま追い出されてしまうような家だったので困る気持ちでした。で断ったけど、その子はその後も、顔が好きってよく好き好きいっていた気がします。で、顔が好きって言っているのになぜかすべてを好きって思われているように感じました。そして少し後、また別のクラスの人に告白されて、その直前に廊下を通った時にそのクラスがざわざわしたのでふと見たらその人と目が合って、ゾッとして、ゾッとしたのにその後告白されてなぜか気になってしまう、みたいなことになって、結局はすごく嫌な思いをしてものすごく嫌いな人になった。顔が好きというと、この人達を思い出し、それと反対側での出来事の両方がきっとセットなのだろうというのは前から思っていました。こっちで私を好きになった人は偽者で、だから好きというのも真実ではなくて、反対側の好きが真実だから、それを受け取った偽者が真実を受け取ったので、そっちの好きが本当で、そのために私はただ嫌な思いをした、という雑な解釈のまま放置してて、正確に解釈していないこともわかってはいたのだけど、どう着地したらいいのかこの段階ではまだ難しくて放置した。私には嫌なことを嫌っていうことを思いつかない時が時々あって、何故か嫌と主張するいう選択肢がなくて、我慢して忍耐で乗り越えないといけないと思ってしまう幻術にかかってしまうことがありました。この嫌な思いをした時、嫌とはっきり言えなくて、でもその時は難しく無理だったので中途半端に終わったけど、だからと言って同じようなことだし、よくわかってなかったのもあって、結局は心がどん底に落ちていった。その後もしつこくて次からは嫌が言える。でももう一回我慢しなきゃと思ったときがあったんだけど、その時は私が言うことを聞かなかったら遠くに行かないといけなくなるという謎の圧力のある言葉で逆らえなくなって、でもその人の友達がすぐに来たので助かった。そして詐欺師に見えてすごく嫌いになって一人で心が沈んでいった。でも、周囲の子達がおかしくなって、特に仲良しだった友達は私が沈むようなことを何とも思わずおかしくなって、男の子を追いかけて家出して、家出するから?少年院に入れられることになって、2年生の終わりからいなくなってしまいました。この私が言うことを聞かなかったら遠くに行かないといけなくなるっていうのは後にまた別の人から言われたこともあり、それはお金を用意するってことで言われた事があります。その時は一度聞いた言葉だったので、ひっかからなくて、遠くに行くことでお金の問題が解決するならその方がいいって言えたんだけど、結局はお金は取られてしまった。バカな失敗がいっぱいあるように思ってきたけど、整理してみる。心が沈むのは、人の視線、軽蔑される、みたいな感じが身体と思います。
目が合って、ゾッとして、ゾッとしたのに気になってその後嫌なことが起こるっていうのはその後高校の時もあった。大体2人一組で。だいたい1年生の終わりに起こる。高校の時は1年生の時はたくさんのクラスがある校舎とは違う少しのクラスしかない別館にいたので、最初はひっそりと過ごしているつもりだったのに、油断してたくさんのクラスの方へ行ってしまって、また目が合ってゾッとしてがあった。その直後、もう一人の人に見つかって、とても女の子に関心があって探しているような感じの人で、興味を持たれたと思った瞬間に嫌な予感がした。色々調べられるという感じして、そこからはみんなの関心が一気にこっちに向き始めてものすごく苦しかった。
高校を卒業して地元の大学に行きました。1年生の終わりから同級生の人とお付き合いしました。まともに一人と付き合うようになると、周辺の視線に苦しむことがなくなり、だけど見えない心の中ではどんどん苦しくなってはいたと思います。その人は、私とつきあうようになってから、実家から追い出されて古い家の一部屋に下宿するようになり、アルバイトをしながら極貧生活をおくるようになりました。よく映画にさそわれていたのだけど、待ち合わせの場所にいくと、いつも近くのパチンコ屋さんからしょんぼりした顔ででてきて、全財産なくなったと言っていました。映画いくのに。そしてなぜかいつも私が支払って、なぜかいつも世話をしないといけない感じになってしまって、依存みたいな感じになっていたような気がします。卒業して地元に就職するつもりが、配属で3年だけ東京に行くことになりました。その東京で、また別の人に出会いました。同じ職場でした。その人は私に付き合っている人がいると知っていても凄く積極的に近寄ってきました。正反対の人で、東京を何も知らない私を世話しようとしていました。いろんなものを食べさせてくれたり、遊びに連れて行ってくれたりしてそれが新鮮で結局2人同時に付き合ってしまって、そのことで、また苦しくなりましたが、どうしてもどっちも切ることが難しかった。
東京に行ったのが91年だったのだけど、それまで私は主にまつだせいこちゃんの世界にいたために、違う種類の音楽は聞こえていませんでした。皆には有名な人でも私は存在も知らない状態でした。この頃、2人と付き合っていたにもかかわらず、周囲には何か物足りない人しかいないと思ってて、どの人も大して好きになれない、好きになれそうでもどうせ近づくとがっかりすると思っていました。強そうに見せていても、本当は私より弱い、と心の中で周囲の男の人たちのことを思っていました。で、その91年だったと思うけど、ラジオで、ある人の特集?をしているのを聞きました。その人の曲の中での人気投票?みたいなのをして順番にかけながら、投票のハガキ?に対してその人がコメントしている感じでした。それを初めて聞いて、まつだせいこちゃんとは全然違いましたが、その声と音楽にも何か世界がありました。そして、その時言っていたあるコメントで、ハッとして、この人だ、って何か特別な人を見つけたと思った瞬間がありました。みんなには有名でも、私には顔も知らない人でした。その話していることそのものというより、それを言っている感覚そのものが伝わってきたって言うか、見るところが他の人と違う、それが私の思うところの強い弱いの強いっていうのと私の心のアンテナみたいなものに一致するような気がしたからです。で、ここからなんだけど、どんな人なんだろうって、現実の中で見ようとし始めると、自分も表面に行って小さくなってしまうのか、何かうまく言えないけど、嫌な気持ちになることがあったり、なんか違う何かダメでした。直接見に行ったのは2回あって、どっちも2階席で、左側と右側と1回ずつだったような。私は皆のように楽しい気持ちには正直なれていませんでした。1回目は近く5mくらいのところまでその人が来たと思います。こっちの方向を向いていたと思うけど、こっちは真っ黒であちらは輝いていました。後で思うに、これは焦点に落ち込んでしまった瞬間だったかもしれません。2回目はハムで出来たみやざわりえさん像が褒められました。その瞬間すぐに帰りたくなりましたがすぐには帰れず、終わったらすぐ2階の出口から帰りました。奥の道路が騒がしかったのでここを車が通るのかなと思いましたが、そんなことはどうでもよく、急いで帰りたいと思いました。その後なにかやり直しの案内があって、嫌だったのについ応募してしまいました。当選しましたハガキが来たけど、もう仕事で行けませんでした。その年で仕事をやめて地元に帰りました。そして地元で少しだけ仕事をし、お見合いをしました。目が合って嫌なことがありをまた繰り返しました。この失敗の人生を、私一人で作った私一人の失敗だと解釈していたけれど、私一人の失敗ではなく、必ず一緒に作ったはずだと思いました。この着地点を、だからあなたは私が嫌い、というものから、ずっとあなたは私を好きだった、に変えていかないといけないのかもしれません。そう思うのが図々しいことのように思ってしまうのは、仕組みではなくて、自分が間違えて自分が失敗した人生だったと思っているからだと思います。他人に対しては失敗した人生の味方したいと思っているのに、私はこんな自分の人生を失敗だと思わないようによく落とし込まないといけないと思います。
こうしてみると、自分が隠したい事がなんとなく自覚できてくる。本当はそこが焦点で、そこが顔にならないといけないのに、これはどう考えたらいいのかな、少し考える。

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