2月28日(土)
下に嫌いを使うしかないみたいに書いたんだけど、その後ふと思い出した事がありました。前に誰にも言えず、ずっと心の中で辛かったことをブログに書いたら、辛い思いが消えました。結構ずーんと重く苦しくなる想いだったのに無くなりました。それともう一つ、みやざわりえさんが大嫌いすぎてつらくなっていたのも書いたからか消えました。いつ消えたのか覚えてないんだけど、気がついたらなくなってて、好きになったわけではないけど、どうでもよくなっていました。書いたからかなと思いました。でもただ書いただけで消えるとも思えず、誰かに受け取ってもらえたということかなと思っています。わからないけど。消えたのはすぐじゃなくてだんだんとだったかもしれないけど、いつの間にか無くなってた。ということは、もしかしたら、嫌いを言うのは私の方ではないかと思い始めました。嫌なことを言わないで抱え続けているから全部言ってしまったら抵抗感がなくなるのかもしれないと思いました。だけど、とてもくだらないことなので言いにくいので黙って抵抗感だけ持っていました。だけど、書いて消してしまおうと思って書くことにしました。私はなかやまみほさんとこいずみきょうこさんが大嫌いです。特に後者の人の勝気な感じは他人を抑えて上に行こうとするように見えて嫌いでした。良さが全く分かりませんでした。前者の人は、とてもきれいな人ってことになっていたみたいでしたが、初めてそれを聞いた時、高校生くらいだったかな、えっそうかな、って理解できませんでした。私の思っていた魅力的な顔とは違い、何か物足りずいまいちだけどなって思いました。直接会った人からしたら違うのかもしれませんけどね。でも私はただふにふにしてるだけで嫌いでした。それにもう、女優も俳優もみんな嫌いです。彼らは私の理想でも雛形でもありません。ただ、まつだせいこちゃんだけはちょっと好きでした。彼女自身が好きって言うんじゃなくて、歌う世界が透明で人間界じゃないような透き通った世界なのが好きでした。それにくらべて、上に書いた2人はただの人間でした。くだらない悪口を書いて失礼しました。これで、残っていた抵抗感が消えるかもしれません。
(↓前に書いていたもの。消したり出したりしていたので、とりあえず思考の過程として書いておきます。)
私の意識がまだ浮いていて、何も抵抗感を持っていないようなふりをして、実は心の底ではまだ抵抗感を持っているみたいな、それが何かせき止めてるのかもしれないと思いました。
2月11日(水)
また会議室作りました。コメントは承認制で承認しないから公開しないし、自分にメールで連絡くることもないし、ここに入るだけにしてます。ポストみたいに。書かなくてもいいです。一応なんかのために。
2月23日(月)
向き合えない、話し合いが出来ないっていう状態には、電話しても繋がらないとか物質的な問題で繋がらないだけじゃなくて、精神的にどうしても抵抗があるってことがあると思います。で、それかなって思ってます。背中合わせを維持しているってことは、お互いに好きになれていないってことで、何か嫌が残っていることですし。
人の向きって誰と向き合うかで向きが決まってて、スポーツに打ち込むとか鳥が好きとか人以外のもので向きが変わることはなく、絶対に人と人との関係で生まれて死んでいくじゃないですか。だから向きが変わるって人と人との間の好き嫌いの力を誰にどう伝えるかで変わっていくと思います。私たちは背中合わせで好きになれていないのに好きとは言えない、その場合は伝えるのは嫌いを伝えるしかないと思います。でもそこには主語が必要で、誰が好きなのか、誰が嫌いなのかっていうことかと思います。違うかもしれないけど、書いてみる。
今私がここで書いている顔は、前を向いた本当の自分かって言うとちょっと違うかもしれません。後ろ向いてちょっとよそ行きの顔で、少し浮いてしまう感じがどうしてもします。その後ろ向きに浮いた私に対して嫌いって言えばいいんだけど、それももうちょっと技がいるって言うか。
AとBとCがいて、Aが根っこ、BとCが倒立像でした。BとCに好きだというと、Aがくるっと背中を向けました。次にAを振り向かせないといけないんだけど、向き合っている人に好きとはいえるけど、向き合っていない背中合わせの人には好きとはいえません。言ってみたとしても背中合わせは嫌いの向きなので嘘だとわかるので受け取ってもらえません。だからといって本人に嫌いだというとそのままを維持するだけだし。BとCに嫌いだからくるっと反対向いてとも言えません。BとCの本体はAの背中側なので、Aの背中に向かってBとCが嫌いだと伝えると、そのAの背中がくるっと反対向くとか、そういう技がいると思います。このAの裏と表の意識が、2つに分裂して姉妹の意識になっているんじゃないかと思います。これはさっと書いてしまった例なので、このとおりじゃないかもしれないけど、なにか好きと嫌いは好きしか言ってはいけないんじゃなくて、力の使い方だと思います。そして技って言っても本当のことじゃないと通用しないので、好きと嫌いが混線してわかりにくくなっているところを本当の気持ちが通じるように、好きと嫌いを使い分けるんだと思います。本当の状態を言わないといけないので背中合わせは嫌いしか受け取れないんだと思います。だけど主語は変更できる。今までは嫌いっていうのは悪口で言ってはいけない悪いことだと思い過ぎた。あと、過去は自由に変更できなければいけないと思いました。変化したら過去の方を否定してひっくり返さないと今ががんじがらめになってしまうから。
ここできれいごとをいっぱい書いて好きこそ素晴らしいことみたいに書いててすみませんでした。向きを表す信号だということがわかっていませんでした。でも、思いついて書いてみたけど、本当に嫌いで解決するのか考えすぎるとわからなくなってきたんだけど、とりあえず書いておきます。
ここでは後ろ向いて少し浮いてしまうから、斥力になってしまうから嫌いを使わないといけない。前を向いている時は誰かに会うとその分浮いてしまうけど、一人の時はたぶん本当の自分でいられる。その前向きの一人って言う状態で話し合えるのかはわからない。