書き方が悪くて感じ悪かったらすみません。自分が見えていた目の前だけの事象と、真実は違っていたのかなと思って、本当の認識ができたら救われると思ってそう書こうと思いましたが、上手にかけてなかったかもしれません。過去を嫌って切り捨てて薄っぺらな人になってしまっていたけれど、初めからずっと同じ人と関わっていたんだと思うと過去を嫌いにならずに受け入れられると思って書きました。言いふらされたとか思って怒っていたり悲しんでいるわけではありません。集中するか広げるかしかないのはわかっていて、それが自分にどう見えていたかというだけなので、それについてなんとも思っていません。それに、誰かを嫌っていたというよりは、その人を思い出すと過去を思い出すからであって、本当は自分自身がしたことを恥ずかしいこと、取り返しのつかない失敗と思って、過去の自分をきらって自分で自分を封印しようとしていたようにも思います。それを失敗じゃないことにできるとしたら、自分が関わったのが目の前に見えていた人ではなくて、本当は別の人だったんじゃないかということだけでした。※ここを読み返して思ったんだけど、集中するか広げるかしかないっていうことは、あの後私が非難を浴びているように感じていた間は同じかそれ以上の力でずっと広げてたっていうことで、そう思うとあの目の前にいた人がそんな力があるようには思えない。だからやっぱり違う人だと思うんだけど。
あと、あんなことを書いてしまって読んだ人がどう思うのかもわたしにはわかりません。本当の当事者の男の子はあなたですか、と書きましたが、そうであれば、もう一人の好きと言ってくれていたけど突然嫌って顔を背けた男の子のほうもあなたですか、とも思います。だからまた嫌われたんじゃないかという心配は正直あります。多くの人が私に嫌悪感を持ったり抵抗感を持ったように見えたのは下に下がったということなのだろうとは認識しています。言われていることを全部聞いたわけではないので、違うことを言われていたかもしれません。それも今となってはもういいですが。相手を嫌いになることと、自分を嫌いになること、そして嫌われることが、私にとっては一番初めの出来事ととても関係しているように思ってしまいます。
それと、私は昔のままの心で沈んでいると書きましたが、書いたことで開き直ることができたような気がします。それに昔のままというのは少し違いました。前にも書いたかもしれませんが、2011年の秋頃、前のブログを書き始める半年前くらいに、押し殺していた気持ちの滞り?みたいなものを吹き飛ばしたことがあってその後から胸の奥に空洞ができたような捻じれがなくなったような感じがしていて、それはこの件に関する重い心がなくなったように思っていました。その後ブログを書いて母が死んでいくんだけど、あの押し殺していたような気持が母が長年患っていた病気そのもののようだったと思っています。ただ重い心がなくなったようには感じても、やっぱりこれを知られると嫌われる、という隠す気持ちは続いて、それが昔の気持ちを忘れないように握りしめていることでもあったようで、だから書いてしまってよかったと思っています。でも誰にでも言える感じじゃないけど。自分が楽になった分、読まされた人は嫌な気持ちになってしまったかもしれず、私に対しても抵抗があるかもしれません。どういう状況かわからないと次を考えることができないので、私自身は書けることはここに書こうと思いました。

書けば書くほど変化してすみませんが、一番心の底にあるものって、大事な人に嫌われることが決定したようなそういう気持ちだったような気がします。だから、高校生の頃、私は本当に好きな人と結婚することはできないと思っていたし、そんな幸せは私の望むことではないので、好きな人とでなくても平凡に目立たないようにひっそり生きていけたらいいと思っていました。でもやっぱり、心が求めているのが深く愛されることで、でももう私はその資格を失ったと思っているので苦しくなっていたように思います。でもこれも書いてしまったらもう消えるような気もします。こんなこと考えること自体がただ疲れているだけで、この自意識過剰は疲れであって、眠くなって寝ているときは何も考えてないし、寝てるときに戻るように消えていくような気がします。だんだん全部もういいかなというような生まれる前とか目覚める前とか苦しくない場所があるから、消えるのが一番みたいな頑張らなくていいような気がしてきた。


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